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2016.07.14 | ミッションインモンブラン

#03野田君の事聞かれたけど、答えるのめんどくさいからブログでまとめといて【前編】

今日のミッションはこれだ。

「野田君の事聞かれたけど、答えるのめんどくさいからブログでまとめといて」

そう。肝心な事を忘れていた。
僕は一体誰なんだ?ということ。

今日は僕の半生を赤裸裸に綴りたいと思う。
(書いているうちに綱渡り感が半端なさすぎて寒気がしました)



【野田陽介について】




1986
生まれる。
とても愛くるしい天使のようだったと野田家では伝えられている。




友達たくさん小学生

身長が急激に伸び、足も速かったので友達が増える
5年生のころ、学校に行くのが不自然だと感じ、気持ちを父親に伝える。
「その問いが生まれたのなら学校に行かなくて良い」というぶっ飛んだ教育方針により
早くもアウトサイダーに。




義務を放棄した中学生

正確には卒業式の1日しか登校していないので中学時代と言えるのか分からないが卒業できた。
つまり実質小卒というステータスのまま社会への扉を開けることになる。
スライムにも撲殺されるレベルである。
そして田中角栄的人生の幕が上がる。





意識高い系フリーター

その当時、豊臣秀吉の自伝を読んでいた僕は、
秀吉が社会を知るため「様々な職種に弟子入りした」というエピソードに習い様々なアルバイトをした、コンビニ、うどん屋、イタリアンレストラン、居酒屋、レンタルビデオショップ、携帯販売。
別に殿様を目指していた訳ではないが世の中を低空飛行しながら社会を学んだ。

ある時は「15時間海苔の入った段ボールを積み上げる」という売れないスマホアプリみたいなバイトをしたし、「刑務所の中に監視用カメラを運ぶ」という珍しいバイトもした。



そうだ、クリエイターになろう

気付けば20歳になっていた。
玉手箱空けたかな?って気分だ。
ポケットの中には小銭とブラック企業の黒い想い出だけだ。

5歳年上の彼女のヒモと化していた僕は
「これ以上カニように人生を横歩きするのはやめよう!上を目指そう!」と心に決めた。
そして、「子どもの頃、褒められたことを仕事にすると幸せ」という本のフレーズを元に安易な目標に辿り着いた。
「クリエイターになる」
当時、ネットどころかパソコンも持っていない僕は、なけなしの小銭で入ったネカフェで情報収集をしウェブクリエイターになれる!という専門学校を見つけた。



専門学校に入学

金は入学金しか無かったけど僕は専門学校に入学することができた。
面接みたいのもあったが、数々のアルバイト面接を経験してきた僕は自分を数十倍賢く見せるスキルを身につけていたし、少子化のこのご時世、無事クリアできた。

問題は学費だったが(2年で150万くらい)僕みたいなフリーターにも学費を貸してくれる仕組みがあるらしく安価にフル活用した(これが後々地獄を招く)
そして晴れて小学校以来の学生生活が始まったのである。



地獄とはこういうことか

僕はがまともに勉強したのは小学五年生までである。
そんな男が専門学校に入るとどうなるか?
そう、授業が分からない。
5歳年上のおっさんがISPで苦戦する姿。
山田洋次の「学校」を思い出した。

そして僕は学費を借りた会社の支払いを月6万に設定していた為、
生活費と合わせると月々10万は稼ぐ必要があった。
(この6万は一度決めると変更できないという地獄)

入学早々、勤労学生生活が始まったのだ。
週4〜5日レンタルビデオ屋でバイトし
土日は終日携帯を売るというライフスタイル。
勉強は予習復習しないと付いて行けないので合間で行う。

あまりのストレスでアダルトビデオを借りに来るアニキに殺意を覚えたほどだ。




BOSSとの出会い

一年生が終わる年末。
ホームルームで先生がこう言った
「○○っていうウェブ制作会社がアルバイトを募集しているんだけどやりたい人いる?」

僕は秒で手を挙げた。
回りに「手を上げたら殴るぞ!」という殺意を振りまきながら。
案の定、5歳も年上のおっさんの殺気に誰も手を上げなかった。

幸いにも僕は制作会社でアルバイトすることになる。
そこで、始めてBOSSと出会うことになるのだ。



後半へつづく。

システム開発やCMSの構築、スマホアプリの開発もご依頼ください。